式子内親王と慈円の恋

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式子内親王-忍ぶる恋の歌-3 死を意識した歌のうち残りの5首  式子内親王の忍ぶる恋の歌のうち、死を意識した和歌4首について、作中人物が恋人と「後(のち)の世の契り」を交わして詠んだ歌、という設定があるのではないかと考えてきました。死を意識...
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式子内親王―忍ぶる恋の和歌ー2 式子内親王の”我がかねごと(約束)”とは何か  (この章は、前回ブログ「式子内親王ー忍ぶる恋の和歌ー1」の続きとなります。) 321 はかなくぞ 知らぬ命を嘆きこし 我がかねごと(約束)のかかりける世に 新古...
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式子内親王-忍ぶる恋の和歌ー1 式子内親王の出家  式子内親王は、文治6年(建久元年、1190)1月3日まで、八条院殿に八条院と共に住んでいたことがわかっています。藤原(三条)公房の日記、愚昧記(ぐまいき)に、公房(きんふさ)が正月の拝賀に...
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定家、慈円、そして式子内親王 その1  定家が、文治2年(1186)九条家に出仕したことをきっかけに、慈円、九条(京極)良経など九条家の人々と定家の和歌の交流が始まりました。 千載集が後白河院に奏覧された文治4年(1188)以降には、式子内...
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千載和歌集 千載和歌集に見る和歌と仏道との関わり 千載集は、その配列、詞書(ことばがき)、文脈が、歌人達の人間関係、事件、人生の、歴史の証言として読み取れるような細心の工夫をもって編纂(へんさん)された和歌集です。季節の推移や、繰り返される...
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藤原定家 1  ♦式子内親王と定家  式子内親王と定家の関係は、定家が20歳の時、治承5年(1181)1月3日に父俊成と共に三条の式子内親王御所に初参したのに始まります。また、彼はその年の9月27日にも俊成に連れられて萱御所を訪れています。...
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顕清女が尾張局として出仕する  顕清女が、後鳥羽院の皇子を産んだのは、元久元年(1204)7月のことです。承安4年(1174)に誕生した顕清女は、いつどのようにして、後鳥羽院に仕えたのでしょうか。当時は、宮仕えする女性は、10歳から13歳く...
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式子内親王と慈円の恋 9

承安4年の春 -式子ー 梅の花が満開の頃  式子内親王と慈円の間に生まれた娘は、顕清女(むすめ)であると考えて話を進めています。承安4年(1174)1月下旬から2月上旬頃に、この娘は生まれました。現代の暦に直すと3月初旬から中旬になります。...
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式子内親王と慈円の恋 8 

式子内親王の御所について 1 式子内親王御所の変遷  式子内親王の承安4年の(1174)の様子を探る前に、その御所はどこであったかという点を明確にしていきたいと思います。 まず、式子内親王が嘉応元年(1169)7月に斎院を退下してから、最初...
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式子内親王と慈円の恋 7

承安4年の春 ー顕清ー  式子内親王と慈円の間に生まれた子供の養父になった顕清とは、いったい何者なのか、なぜ顕清が選ばれたのかを、もっと詳しく見ていこうと思います。顕清の系図をご覧ください。 藤原顕清の系図(日野家)  *緑字で表記してある...