式子内親王の仮面をつけた定家
再会の後
式子内親王の死去
式子内親王は、正治2年(1200)12月8日の慈円との再会の後、1か月半後の建仁元年(1201)1月25日に53歳で亡くなりました。しかし、それを伝える史料は残っていません。それがわかるのは、建仁2年(1202)1月25日の明月記です。
天陰、雨降止。午時許束帯参大炊御門旧院。今日御正日也。入道左府被経営云々。彼一門人済々。予不交衆、謁尼大納言殿退出。今日出此院可被住左女牛小家。依借車。
日が陰(かげ)って雨が降ってきたが止(や)んだ。午(うま)の時(昼12時前後)ぐらいに束帯を着て大炊御門の旧御所に参上した。今日は式子内親王の御正日(しょうにち、一周忌)である。入道左府(三条実房)が法要を営(いとな)むということだ。三条家一門の人々が威儀(いぎ)を正(ただ)して集まっている。予(よ、自分のこと)は、列席者には交じらず、尼大納言殿(定家姉の龍樹御前)に挨拶して退出した。尼大納言殿も今日限りでこの旧御所を出ていくことになる。左女牛(さめうし、七条坊門の北通りにあった小路)の小家に住む予定なので、車をお貸しした。
御悩の御祈りに関わった人々の、その後
御悩の御祈りに関わった人々の、その後の動向についても、述べておきたいと思います。
まず、建仁3年(1203)6月7日、定家のところへ実快僧都(そうず)が黒牛を引き送ってきました。御悩の御祈りの功労者は何と言っても定家です。これは定家への労(ねぎら)いの意味で、徳大寺家の実快法眼から、あるいは実快法眼を通して実は慈円が贈ったものかもしれません。
藤原公時は、建仁3年(1203)2月3日の午前10時頃に後鳥羽院御所で、定家にわざわざ近寄って来て、定家が自身の昇進を願い出るついでに、息子の実宣が蔵人頭(くろうどのとう)に昇進できるように合わせて願い出てくれと、訴えてきたので、定家はしぶしぶ承諾しました。午後2時頃に定家が今度は慈円の白川房に参上しますと、こちらにも公時が来ていて、慈円に対して同様に息子の昇進運動をしていたそうです。
円能律師は、明月記の記事での呼称が律師から、建永元年(1206)に僧都(そうず)、承元元年(1207)に大僧都、建保元年(1213)には法印となり慈円によって祇園別当に任じられていますから、順調に昇進を重ねていったようです。
定家はといえば、なかなか昇進が進みませんでしたが、ようやく建仁2年(1202)10月に、13年ぶりに左近衛少将から左近衛権中将に任じられました。しかし、それから念願の内蔵頭(うちくらのかみ)になるまでには、あと8年、侍従と従三位を手に入れて晴れて公卿になるまでには、さらに1年を待たなければなりませんでした。昇進するために動いてくれる人脈を持たない定家は、元久元年(1204)2月14日に、宇治に滞在中の慈円の僧房を訪ね、平等院において見参し所望の事(官位昇進の願い)を申し入れています。残念ながら、この運動はあまり効果がなかったようです。
定家、心緒(しんしょ)を述(の)ぶ
定家にとって、式子内親王は、汲めども尽きぬ創作の源泉
式子内親王が亡くなって一年余り後の建仁2年(1202)4月24日、式子内親王の月命日(つきめいにち、故人が亡くなった日と同じ日)の前日の、「明月記」の記事です。
天霽(晴)。称病不出仕。私行東山述心、晡帰冷泉。
晴天である。病気と称して出仕せず。ひそかに東山に行き心を述べる。日暮れ時に冷泉(れいぜい)に帰る。
東山は、慈円が、建久年間に京都の東山山麓、現在の円山(まるやま)公園の一角に建てた吉水房(よしみずぼう)と推測されます。冷泉は、定家一家が建仁2年3月に移り住んだ冷泉高倉邸です。
心を述べるとは、万葉集の部立て(ぶだて)のうちの「相聞歌」をさらに分類したものの一つで、正述心緒(せいじゅつしんしょ、ただにおもいをのぶるうた)と言われる相聞歌です。心の中の思いを、何かの題材に例えたり、旅や別れなどのテーマに沿って歌うのではなく、心情をそのまま直接的に表現する歌のことです。では、定家はなぜそのような恋の和歌を、慈円の吉水房を訪問して披瀝(ひれき、心の中をうちあけること)したのでしょうか。そして、それはどのような和歌だったのでしょうか。
定家による自撰歌集である「拾遺愚草(しゅういぐそう)」(藤原定家全歌集(上)久保田淳 校訂・訳 ちくま学芸文庫)を参照、引用いたしました。
該当すると思われる和歌は、「拾遺愚草 下 部類歌 恋」 歌番号2506~2539の三十四首です。和歌の内容は、女性が詠んだ恋の歌として作られています。それは、意図的に、式子内親王を彷彿(ほうふつ)とさせる言葉使い、文脈、情感によって構成されたと考えられます。
そして、驚いたことには、この三十四首に呼応する慈円の和歌が見つかりました。
慈円の私家集「拾玉集(しゅうぎょくしゅう)」(校本 拾玉集 多賀宗隼 編著 吉川弘文館)を参照、引用いたしました。なお、仮名文字の濁点を読みやすいように補(おぎな)いましたことをご承知ください。
該当すると思われる和歌は、「拾玉集 第四巻 」厭離欣求(おんりごんぐ)百首中被取替(とりかえらる)三十五首、歌番号4854~4888となります。定家の和歌より一首多いのは、長歌のあとに反歌を添えるように、最後に全体をまとめて釈迦への挨拶のような和歌が加えられたことによります。
定家にとって式子内親王は、創作のインスピレーション(霊感、ひらめき)を与えてくれるミューズ(ギリシャ神話の文芸・芸術を司る9人の女神、あるいはニンフとも)のような存在だったのではないでしょうか。
特に、慈円との秘められた恋は、過ぎ去った王朝時代の記憶を呼び起こし、あるいは昔物語の世界を垣間(かいま)見せてくれる、生きた実例として、長年、定家の想像力を刺激し創作の糧(かて)となっていた可能性があります。
その意味で、定家は、式子内親王の恋の心情を洞察することもあったと考えられますし、そこには、かなりの共感や同情の気持ちも混じっていたことでしょう。
式子内親王が死去したことは、歌人として汲めども尽きぬ創作の源泉を見失ったことでもありました。しかし、式子内親王に成り代わって歌を詠むという行為が、思いがけず、定家の創作への情熱にエネルギーを注ぎ込むことになったようです。その理由は、まだ言い尽くされていない式子内親王の心情が、定家の中で和歌となってほとばしった時に、まず定家自身が癒(いや)されたからだと思います。創作の源泉は失われたのではなく、定家自身の中にすでにあったという確信が、彼の喪失感を癒し、新たな創作の霊感が降りてきたのではないか、うまく表現できませんがこんなことではないかと私は思います。その感動が、定家を矢も楯(たて)もたまらず衝動的に吉水房の慈円のもとに走らせたのではないでしょうか。
慈円は、定家の申し出を聞いて驚きながらも、相聞の答歌をその場で詠むことを了承しました。なぜなら、決して世の中に知られないように、心の中に閉じ込めて耐えきれないほどに重くなった秘密を解放することが、慈円にとっても必要だったからです。慈円は、すべての虚飾を捨てて赤裸々(せきらら)な心情を吐露(とろ)しているように、私には感じ取れます。慈円もまた、このかりそめの相聞(そうもん)で、癒(いや)されたのではないでしょうか。
そして、この即興の贈答歌は、誰にも気づかれないようにそっと、それぞれの家集の片隅(かたすみ)に収められました。一見、脈絡のない六十九首の恋歌が、800年余の時間を経てようやく相聞歌として一組ずつ組み合わされました。これは、定家と慈円による式子内親王への哀悼歌(あいとうか)でもあると、私は思います。
定家と慈円による贈答歌の復元の試み
赤い部分が、定家が式子内親王に成り代わって詠んだ和歌とその解釈です。緑の部分が、慈円がそれに応えておそらく即興で詠んだ和歌とその解釈になります。実際の順序はわかりませんので、定家の歌番号の順番に従いました。
恋歌よみける中に
2506 時のまも いかに心をなぐさめて 又あふまでの契りまちみむ
(詞書、ことばがき)恋歌を詠んだ中に
ほんの少しの間も、どれほど自分の心を励ましなだめて、また(来世で)お逢いするという誓いが実現するのを、わたしは待ち続けていることでしょう。
4897 君はげに みよの仏のわくる身か 天長地久(てんちょうちきゅう)いとどちぎらむ
あなたは本当に三世(みよ)の仏(過去・現在・未来それぞれに存在する仏)が姿を変えて現れたかのような方(かた)ですね。天地が永遠に続くようにいつまでも変わらぬ思いで、あなたと(来世で)逢うことを誓います。
2507 かきやりしその黒髪のすぢごとに 打(うち)ふすほどは俤(おもかげ)ぞたつ
逢うときはいつも私の黒髪をかきあげたことを、ふと、うつぶせになると思い出して、長い黒髪の筋ごとにあなたの面影が立ち上がるような気がします。
*本歌*黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞ恋しき (和泉式部 後拾遺和歌集)
この定家作の有名な和歌は、従来、女と別れた後に、男が女の姿を恋しく思い出している歌、男性が主体となって詠んだ歌として解釈されてきました。しかし、この恋歌群が、式子内親王が主体であるとの仮構のもとに、定家が作り上げたものと考えると、女性が主体であるように解釈しなければなりません。つまり、うち伏しているのは女で、俤(おもかげ)は男の俤ということになります。男の歌とすると、「うち伏す」という語句が男性の動作としては微妙に違和感がありましたが、女性の動作とすると、この違和感は解消されます。俤(おもかげ)は、女の髪をかきあげた男の幻(まぼろし)と考えられます。
4880 まことには伊勢のはまをぎかさねても ちぎらまほしきあととこそきけ
たとえ風が吹きすさぶ伊勢の浜辺で荻(おぎ)を折り敷いた旅寝を重ねてもよいから、このままずっとあなたと離れたくないと思ったわたしの本当の気持ちが、(幻となって)そこに残っているのだと知ってください。
*本歌*神風の伊勢の浜荻(はまおぎ)折り伏せて 旅寝やすらむ荒き浜辺に (碁壇越妻 万葉集)
*本歌*あたら夜を伊勢の浜荻をりしきて 妹(いも)恋しらに見つる月かな (藤原基俊 千載和歌集)
2508 わかれての思ひをさぞとしりながら 誰かはときし夜半(よわ)の下紐(したひも)
(二人とも結ばれない運命とわかっていたはずなのに、)別れてからさぞかしつらいだろうと知りながら、誰がわたしの夜の衣の下紐をほどいたのですか。
4881 いとひいでてかへるとも猶(なお)わが心 はれせぬまでにしのぶとをしれ
後悔と罪悪感に苛(さいな)まれて帰りました。それでもやはり私の心は、あなたを求める気持ちを必死にこらえていたことをわかってください。
2509 きてなれしにほひを色にうつしもて しぼるもをしき花ぞめの袖
着慣れていた花ぞめの袖に恋の思い出が染み付いて、涙に濡れてしまったけれども、とても惜しくてしぼることができません。
4854 はつせ山涙しぐれし袖の色を けふ墨染(すみぞめ)にうつしてぞ見る
恋の願いが叶わずつらい思いをする山おろしが吹く初瀬山ではないが、涙で時雨(しぐれ)が降ったように濡れそぼった袖の悲しげな気配(けはい)が、今日の墨染の衣にも漂っていることでしょう。
*本歌*うかりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを (源俊頼朝臣 千載和歌集)
とほき所にゆきわかれにし人に
2510 心をばそなたの雲にたぐへても 猶(なほ)こひしさのやるかたぞなき
(詞書)遠い所に行って別れてしまった恋人に、
せめて心だけでも、あなたのいる方角に浮かんでいる雲に寄り添わせてみますが、やはり恋しい気持ちを晴らしまぎらすことはできません。
4867 草のいほになにとこころのとまるらむ はなれて物を思ふべき身の
私が住む侘(わび)しい草の庵(いおり)などに、何と思って心が留(と)まるのでしょうか。俗世間から離れて修行にはげまなければならない身のこの私に。
2511 あな恋し吹きかふ風もことつてよ 思ひわびぬる暮(くれ)のながめを
ああ、恋しいことよ、吹き交(か)う風も伝えておくれ。すっかり寂しくなって物思いにふけっているこの夕暮れ時の景色を。
4871 故郷(ふるさと)を思ひいづるぞをろかなる いとひし事も心ならずや
私に、懐かしい故郷を思い出させないでください。もう帰れないのですから。心ならずも、考えないように遠ざけているのですよ。
2512 思ひいづる心ぞやがてつきはつる 契りしそらの入逢(いりあひ)の鐘
入相(いりあい)の鐘(日没ごろに寺でつく鐘)が撞(つ)きおわって空に消えていくと共に、あなたと誓いあったことを思い出す心も、そのまま尽き果てていくようです。
4860 わけとむるつるのはやしの光まで かめ井にやどすあとをしぞ思ふ
お釈迦様が亡くなられた時に沙羅双樹(さらそうじゅ)の木々は悲しみのために鶴のように真っ白に色を変えました。その時に、お釈迦様はご自分の身を分けて、その一つが後に四天王寺の亀井の水に射し込む月の光となったのです。それは、日本に仏教を広めるために四天王寺を建立(こんりゅう)した聖徳太子との、深い契りがあったからでした。
契りとは、鐘の音が空に消えていくように尽き果てるものではありません。永遠に続くものだということに気づいてください。
*本歌*あさからぬ契りの程ぞ汲まれぬる 亀井の水に影うつしつゝ (西行 山家集)
*本歌*身をわけてつるの林を出(いで)しより 亀井にうつる有明の月 (慈円 拾玉集)
2513 人めもりへだつる道をおもふより やがてもむねにとづる関哉(かな)
あなたに逢いたくても、人目をはばかる遠い道のことを考えると、いつも同じように自分の胸の中にある関所が閉じてしまって、やっぱり踏み出すことができません。
4863 ふかき山になるる心のしるべより 市(いち)のなかにもみちのありける
山深い静かな所に慣れてしまった心が知っている道しるべよりも、あなたが住んでいる賑(にぎ)やかな場所にも、私たちが出逢える道があるのですよ。(それは、仏道です。)
2514 誰もこのあはれみじかき玉の緒(を)に みだれて物を思はずもがな
いったい誰が、このどうしようもなく短い命の中で、あれこれと悩みわずらって物思いをしたいなどと思うでしょうか。いいえ、誰もそんなふうにして生きたいと思うはずがありません。
4877 あはれにもくるしき海を思ふとて 浪(なみ)こす袖やすゑの松山
この世は苦しみの絶えない海であるのに、悲しいことに人を恋する思いにとらわれてしまって、やがては涙の浪にのまれて袖を濡らすことになるのでしょう。
*本歌*契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは (清原元輔 後拾遺和歌集)
2515 むすびおく名のみながるゝわたり河 わが手にかけむ浪とやは見し
私たちが後の世の契りを結んだ、という噂(うわさ)ばかりが流れるわたり河(三途の川のこと)にやってきました。この川波がまさか、自分の手にかかるとは、思ってもみませんでした。涙が自分の手にかかって濡れたと思ったのは、涙ではなくてわたり河の浪だったのですね。
4883 のちの世にそはぬたからをつみをきて たのしむ人をみるぞかなしき
のちの世に持っていけるものは私たちの契りです。それ以外、何もいりません。のちの世に持っていくことができない宝物を積み上げて喜んでいる人を見るのは悲しいことです。
2516 おのづからあはれとかけむ一言(ひとこと)も 誰かはつてむやへの白雲
万一、あなたが、愛しているよと一言、言ってくれたとしても、それを誰が伝えてくれるだろうか、幾重にも重なった白雲の向こうにあなたはいるのだから。
4857 あはれにも雪のみ山の鳥もよそに むすびなれぬるわがいほり哉(かな)
何と悲しいことに、私の住み馴(な)れた庵(いおり)は、鳥さえも通わぬような雪の積もった山の中にあるのですよ。
2517 けふまでは人もわすれずと許(ばかり)も うつゝにしらぬなかぞかなしき
まさか今日までは、あの人も忘れないでいてくれるだろうということさえ、現実にはわからない。二人の関係がそんなものだとは、何て悲しいことだろう。
4859 うみ山とたびのあはれになれてだに わすれぬべきを故郷(ふるさと)の空
海をわたり山を越えてゆく旅のような人生の苦労に慣れてしまった今でさえ、(あなたの住む)なつかしい故郷の空を忘れるはずがあるでしょうか。
2518 契りおきし音をたのみにしのぶとも おなじ風だにふかずやある覧(らむ)
あの時、誓いあったあなたの声を信じて耐えていても、せめてあの時と同じ風さえも、もう吹かなくなってしまったのでしょうか。(もう、声も便りも届かないのですか。)
4886 吾国(わがくに)に出(いで)しほとけをたのむ哉(かな) ふかき契(ちぎり)のたぐひなければ
我が国に現れた仏*、なかでも観世音菩薩を敬い念じてください。観世音菩薩の大いなる誓いは海のように深いのです。きっと、私たちの契りを聞き届けてくださるでしょう。
*神仏習合で、神が本来は仏であり、衆生(しゅじょう)を救うために仏が神に姿を変えて現れたとする思想が、反映されて、こうした表現になっていると思われます。ちなみに、上賀茂神社の神である賀茂大明神の本地(ほんち、本来の姿)は、聖(しょう)観音となっています。
つゝむことありて、文(ふみ)やることもせぬ人のてならひしたるを、人づてに見て
2519 うらうらにただかきすつるもしほぐさ 見るよりいとど立(たつ)けぶり哉(かな)
(詞書、ことばがき) 隠さなければならない事情があって手紙を渡すこともできない恋人が、心に浮かぶまま歌を書き流したものを、人づてに見る機会があって、
塩をとるために浦々にかき集めた藻塩草ではないが、すらすらとのどかに、あなたがただ書き捨てた手習いを見ると、塩を焼く煙が立ち昇るように、私の心からも恋の思いが煙となって立ち昇るようです。
4869 あさましやおほ宮人(みやびと)にうちむれて 花見しことは夢かうつつか
情けないことです。大宮人と一緒になって、あちらこちらと花見に出歩いて和歌を詠んだりしたことも、今となっては夢の中の出来事としか思えません。
人のもちたるあふぎ(扇)に、うつの山べのうつゝにも 、とかきたるを見て
2520 さぞなげくこひをするがの宇津の山 うつゝの夢の又し見えねば
(詞書)人が手にしている扇に、「うつの山べのうつゝにも」と書いてあるのを見て、
宇津の山べの旅人は、さぞかし嘆きの多い恋をしているのですね。現実でも夢の中でも逢うことがないのですから。(まるで私たちのように。)
*本歌*駿河(するが)なる宇津の山べのうつゝにも 夢にも人にあはぬなりけり (在原業平 新古今和歌集)
4868 いかにせむ草ばにすがる露の身の 朝日まつまのふかきやみぢを
日が昇れば消えてしまう、草葉にすがる露のような私です。その朝日が出るのを待つ間の、深い闇路をどうしたらいいというのか。(夢を見ることもできない、誰にも言えない心の闇です。)
2521 おのづからそれと許(ばかり)をよそにみて むねにせかるゝ水茎のあと
(人づてに見せられた手習いが、)自然とあなたの筆跡だと気づいて、傍目(はため)で見ながらも、筆の運びが胸に迫って苦しいほどでした。
4875 五月雨(さみだれ)はみづのみまき*のふかきえに すみかへりぬるわが心哉(かな)
五月雨が美豆の御牧(みずのみまき)に降り続いて、すっかり深い江となってしまったように、私の涙も深い淵となって、私の住処(すみか)となりました。その昔、⁑あなたに差し上げた手紙の文字の墨(すみ)もまた、私の心の中に戻って来たのですよ。
*本歌*五月雨は美豆の御牧のまこも草 かりほすひまもあらじとぞ思ふ (相模 後拾遺和歌集)
*美豆の御牧は、当時の山城国久世郡にあった皇室の牧場で、木津川の両岸に広がっていた湿地帯。
⁑当ブログ第4章をご覧ください。慈円が、賀茂祭の「みあれの日」に式子内親王へ二葉葵を献上した際、贈った「あふひ」の和歌のことを言っているのでないかと推測されます。
ひさしくかきたえたる人に
2522 いかがせむありしわかれをかぎりにて 此世(このよ)ながらの心かはらば
(詞書)長い間、手紙のやりとりが途絶えていた恋人に、
私はどうしたらよいでしょう。最後にお別れしたのを限りとして、あなたが、この世にありながら心変わりしたならば。
4872 又ふたつこころますべきことやあると 思(おもひ)え(得)つればいり逢のかね
私がほかの誰かに、ふたごころ(浮気心)を持つかもしれないと思って疑っているのですね。それで入相の鐘を聞くような、悲しく寂しい気持ちになっているのでしょう。(ふたごころを持つことなどないので、安心してください。)
2523 限りあらん命もさらにながらへじ これよりまさる月日へだてば
まだもう少し生きられるかもしれない命でも、これ以上は生きながらえたくありません。これからの月日もずっと離れて生きることになるのですから。
4870 うらめしやよそげに月の過(すぐる)哉(かな) なにゆへにすむやどとかはみる
とても残念です。あなたの上には、そんなによそよそしく月が通り過ぎていくのですか。この世に生まれて今まで生きてきたのは、なんのためだとお思いですか。(来世で同じ蓮のうてなに生まれ変わるためです。)
2524 身をつくし*いざ身にかへてしづみみむ おなじ難波(なには)の浦の浪(なみ)かぜ
さあ、私は恋のために身を尽くし(身を滅ぼし)てしまったので、同じ名前の澪標(みおつくし)に姿を変えて、この難波の浦に沈んでしまいましょう。波にまかせて風に吹かれるままに。
*本歌*わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ (元良親王 後撰集)
*澪標(みおつくし)は座礁(ざしょう)の危険を回避するための航路を示す標識。古くから水の都として栄えた大阪(難波)の澪標が、多く和歌に詠まれた。
4862 釈迦仏(しゃかほとけ)御法(みのり)の庭はなにはがた あしのやへがきまぢかき物を
難波潟(なにわがた)の入江には、葦(あし)がまるで八重垣のように生い茂っていて、陸地の向こう側にあるのは、聖徳太子によって建立された四天王寺です。あなたの間近に、釈迦仏の教えが月の光となって宿っている御法(みのり)の庭があるのですよ。
2525 涙せくむなしきとこのうき枕 くちはてぬまのあふこともがな
寂しい床(とこ)で涙を堰(せ)き止めるはずの枕が、まるで水に浮いているかのように濡れている。この枕が朽(く)ち果ててしまう前に、あの人に逢ふことができればどんなによいことだろう。
4855 このごろの人の心をよそになして ながむるともにあふよしもがな
近頃の人々が心で思っていることなどとはもう関わらないで、あなたとしみじみと物思いにふけりながら逢う手立てがあればよいですね。
2526 こひしさを思(おもひ)しずめむ方(かた)ぞなき 逢(あひ)見しほどにふくる夜ごとは
恋しい思いをしずめる方法(または方角)がありません。あなたと逢った夜を思い出させるように、今夜も更(ふ)けていきます。
4865 あけぬるかこころのそらにながむれば まどよりにしに有明(ありあけ)の月
もう夜が明けたでしょうか。心の中に広がる空を眺めてください。窓から西の方角に有明の月が見えるでしょう。有明の月は、迷いの夜が明けた後もまだ西の空に沈まないで、しばらくの間、白く輝いて仏の救いの光と悟りの境地を教えてくれているのです。
2527 よしさらばおなじ涙にくれなゐ(い)の 色にをこひん人はしるとも
わかりました。それならばあなたと同様に、涙が尽きるほど泣くと血の涙になると言われる紅(くれない)の涙にくれて、あなたを慕(した)いながら死んでいきましょう。たとえ、それで人に知られても構(かま)いません。
*本歌*夜もすがら契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき (藤原定子 後拾遺和歌集)
夜が明けるまでわたしと愛を誓い合ったことを忘れずに、あなたは、私を恋しいと思ってきっと涙を流してくれることでしょう。その涙の色を、見たいものです。(それは、紅の涙に違いありません。)
この本歌は、藤原定子(一条天皇皇后)が一条天皇に遺(のこ)した、死を前にしてこの世に別れを告げる辞世(じせい)の歌です。
4856 山ふかみそぞろにおつる涙哉(かな) 南無阿弥陀仏南無あみだ仏
山が深いので、あなたが入っていった道(死者の行く道)を探そうにも探せない。ただただ涙が落ちて止まりません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
*参考歌*秋山の黄葉(もみぢ)を茂み惑(まど)ひぬる 妹(いも)を求めむ山路(やまぢ)知らずも (柿本人麻呂 万葉集)
仏教では、死者は山ではなく三途の川に向かいます。しかし、この「山ふかみ」から感じ取れるのは死者の魂が山深く入っていくという、日本古来の死生観です。仏教思想の観点からすると違和感は残りますが、参考歌として、柿本人麻呂の挽歌(ばんか、死者を悼む歌)を添えておきます。
2528 山のはにまたれていづる月かげの はつかに見えし夜はの恋しさ
東の山の端から、待っていた月がようやく昇ってきました。遅くなって出る二十日(はつか)の月のように、あなたの姿がわずか(はつか)に見えた夜半(よわ)が、恋しい思い出となりました。
4884 にしの名をしたひてきたる山でらは 思ふばかりもいる月をみぬ
西方浄土(阿弥陀仏のいる極楽浄土)があるという西の名に惹(ひ)かれて移り住んだ山寺では、思うだけでも(待たないで)山の端に入る月を見ることになります。(入る月というものは、いっそう別れや無常を感じさせるものです。)
2529 なほざりにたのめしほどもすぎはてば 何にかく(懸く)べき命なるらむ
何となく頼りに思っていた時期も、とっくに過ぎてしまったとしたら、いったい何に望みを懸けて命をつないでいけばよいのでしょうか。
4876 みちのくのつぼの石ぶみ行(いき)てみん それにもか(書)かじただまどへとは
みちのくに行ってつぼの石ぶみを見てみるとよいでしょう。それにも、かいて(書いて)ないと思います、ただ単に「思い悩みなさい」とは。(悟りは、思い悩むことと表裏一体のものです。仏の慈悲を求めてください。)
*陸奥(みちのく)のいはでしのぶはえぞ知らぬ 書きつくしてよ壺の石文 (源頼朝 新古今和歌集)
2530 いかさまに恋もなげきもなぐさめむ 此世(このよ)ながらのあらぬ世も哉(がな)
どのようにして、恋も嘆きも慰(なぐさ)めたらよいだろうか。この世でありながら、この世ではないような悲しみのない世界があるとよいのに。
4885 釈迦仏(しゃかほとけ)このよに出(いで)てをしえしは 何事とかはききつたえたる
この世にお釈迦様が現れて、仏の道を説いて教えてくださったのは、いったいどういう事だったのかを、あなたは伝え聞いたことがないのですか。(来世で浄土に往生することを教えてくださったのです。)
2531 あすしらぬ世のはかなさを思ふにも なれぬ日数(ひかず)ぞいとどかなしき
明日はどうなるかもわからない、この世のはかなさを思うにつけて、あなたと一緒にいれない日々がいっそう悲しくなります。
4858 花をおしみ月をまちしもつゐにさは 三世(みよ)の仏のをしへなりけり
花が散るのを惜しみ月が出てくるのを待ちわびるようにして、この世を愛(いと)おしんでも、ついには別れる日がやってきます。生まれる前、生きているとき、死後の世界と三つの世にそれぞれ仏がいます。*前世にはこの世に押し出してくれた薬師如来、現世には釈迦如来(しゃかにょらい)、来世には浄土に導いてくれる阿弥陀如来がおられるのです。ですから安心してそれぞれの仏様を念じて、救いを求めてください。
*寺によっては、過去仏が釈迦如来、現世仏が阿弥陀如来、未来仏が弥勒菩薩(みろくぼさつ)となっているなど、三世仏(さんぜぶつ)には、いろいろなバリエーションがあるようです。
2532 はかなしな夢にかよはむ夜な夜なを かたみにそれと思(おもひ)なすとも
頼りないものですね。夢の中で何度もお逢いして、互いに本当に逢ったつもりになっても、やっぱり現実ではないのですから。
4864 花ははる月は秋のよまどふりて ならべて見るは心なりけり
花が咲き匂う春や、月の光の秋を、窓の向こうに長年、眺めてきたと思うのはあなたの心です。(夢の中で何度も逢ったことを、実際に逢ったことと思おうとした、のもあなたの心です。その心を、頼りないものとして迷いの中に置いたままにしないで、仏の導きによって苦しみを手放して悟りの境地へと進んでください。)
2533 おのづから人も涙やしるからん 袖よりあまるうたゝねの夢
たった今、あの人も涙にくれているのだろうか。私は、あの人に逢って袖からこぼれるくらい涙があふれている夢を見たのだけれども。
4878 すゑの松こすかなみだをうつさばや まことの道を思(おもふ)たもとに
長く悲しい恋の末に、末の松山の波ではないが涙が袖を濡らしているのならば、その涙を仏の救いの光を得た喜びの涙に変えてあげられたらどんなに嬉しいことでしょうか。
*本歌*契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは (清原元輔 後拾遺和歌集)
2534 おもかげの身にそふ袖の匂ひゆゑ ただその色にしむ心哉(かな)
私の袖の墨染めの色が、あなたが着ていらっしゃる墨染めの衣と同じだという、ただそのことだけでしみじみと懐かしい雰囲気に包まれるような気がします。
4873 都よりこの山ざとにうつろひて 秋なる色は心なりけり
都からこの山里に移り住んでから、墨染めの衣を着てはいますが、心の方は、涙も尽きて紅葉(もみじ)のような赤い血の涙の色に移ろってしまいました。
2535 思(おもひ)いづる春の衣(ころも)のかたみまで いはぬ色にぞちしほ(千入)そめてし
あなたと別れた春を思い出します。恋の形見となった春の衣を、もの言わぬ色(くちなしのこと、実から少し赤みのある濃い黄色の染料が取れる)に、千回も浸(ひた)して染めたことも。
4861 今はわれまことに家をいでてこむ なにゆへそめし衣とかしる
今、私は本当の意味で出家をしましょう。なんのために、墨染めにした衣かお分かりでしょうか。(浄土に往生して、あなたと来世で逢うためです。)
2536 身にかへて人をおもはでこひ見ばや なきになしても逢(あふ)よありやと
あなたを恋するのに命に代えてまでしないで、普通に恋をして逢いたいのです。来世まで契らなくても、あなたとの逢瀬(おうせ)があるのではないでしょうか。
4882 人ならで過(すぎ)行(ゆく)身こそうれしけれ これにかへたるのちを思ふに
俗界の人間としてでなく、僧として生きている身でよかったと思います。出家して僧になってから、ようやく後(のち)の世を思い、浄土に往生することを願うようになりましたから。
2537 待つらむとちぎりしほどを忘れずは たれとながめて日をくらすらん
いつまでも待っていますよと、誓ったことを忘れないでいるならば、あなたはいったい誰と景色を眺めたりして日々を暮らしているのでしょうか。
4874 もえて行(ゆく)こころの野べの春雨に うれしくたぐふおきのやけはら
若草が萌(も)え始めた心の野辺に、春雨が細かく降り続ける頃には、荻(おぎ)の焼け原がやさしく寄り添ってくれるのです。
*本歌*今日よりは荻(おぎ)のやけ原⁑かき分けて 若菜摘みにと誰をさそはむ (兼盛王 後撰和歌集)
⁑荻(おぎ、イネ科ススキ属の多年草)のやけ原は、春に野火で焼かれたあとの荻の原のこと
2538 かく知らば緒絶(をだえ)の橋のふみまどひ わたらでただにあらましものを
こうなるとわかっていたなら、陸奥(みちのく)にあるという、渡ると男女の縁が切れると言われる緒絶(をだえ)の橋を渡るか渡らないか迷ったりしないで、渡らずにそのままにしておけばよかったものを。
*本歌*みちのくの緒絶の橋やこれならん ふみみふまずみ心まどはす (左京大夫道雅 後拾遺和歌集)
4887 のりのみちはしるべなくともとをりなん 心をまもれ神ならばかみ
わが恋人は、道しるべがなくてもきっと仏の道を辿(たど)って行けることでしょう。彼女の心の奥にある仏の種をどうか守ってください。本当に神であるならば、神よ、私の願いを聞き届けてください。
2539 をしからぬ命もいまはながらへて おなじ世をだにわかれずも哉(がな)
もう惜しくはないと思った命だけれど今は生きながらえて、せめておなじ世にいる間だけでも別れずにいられれば、どんなによいことだろう。
*本歌*恋すれば憂き身さへこそ惜しまるれ おなじ世にだに住まむと思へば (心覚 詞花集)
4866 命とておしむが人のあはれなり 空行(ゆく)月にたちをくれつつ
生きている人が命を惜しんで、懸命に生きようと努力するのは立派なことです。(しかし、いつかは運命を受け入れなければならない日がやって来ます。) 空を行く月が闇を照らすやわらかい光は、仏の智慧と慈悲のはたらきを示し、澄んだ悟りの境地を教えているものです。その月が山の端に入るのにたちおくれないように、煩悩(ぼんのう)を手放して仏の救いを求めてください。
4888 なにゆへに世にいでたまふ釈迦仏(しゃかほとけ) 我(われ)すくはずはかこち申さむ
どんな理由があってか、この世に出現された釈迦仏よ。私を救ってくだされなければ、恨み言を申し上げます。
