式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 12 千載和歌集千載和歌集に見る和歌と仏道との関わり千載集は、その配列、詞書(ことばがき)、文脈が、歌人達の人間関係、事件、人生の、歴史の証言として読み取れるような細心の工夫をもって編纂(へんさん)された和歌集です。季節の推移や、繰り返される人間... 2022.10.30 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 11 藤原定家 1 ♦式子内親王と定家 式子内親王と定家の関係は、定家が20歳の時、治承5年(1181)1月3日に父俊成と共に三条の式子内親王御所に初参したのに始まります。また、彼はその年の9月27日にも俊成に連れられて萱御所を訪れています。 明... 2022.03.03 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 10 顕清女が尾張局として出仕する 顕清女が、後鳥羽院の皇子を産んだのは、元久元年(1204)7月のことです。承安4年(1174)に誕生した顕清女は、いつどのようにして、後鳥羽院に仕えたのでしょうか。当時は、宮仕えする女性は、10歳から13歳くら... 2021.07.21 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 9 承安4年の春 -式子ー梅の花が満開の頃 式子内親王と慈円の間に生まれた娘は、顕清女(むすめ)であると考えて話を進めています。承安4年(1174)1月下旬から2月上旬頃に、この娘は生まれました。現代の暦に直すと3月初旬から中旬になります。 京... 2021.05.05 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 8 式子内親王の御所について 1式子内親王御所の変遷 式子内親王の承安4年の(1174)の様子を探る前に、その御所はどこであったかという点を明確にしていきたいと思います。 まず、式子内親王が嘉応元年(1169)7月に斎院を退下してから、最初に... 2021.02.21 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 7 承安4年の春 ー顕清ー 式子内親王と慈円の間に生まれた子供の養父になった顕清とは、いったい何者なのか、なぜ顕清が選ばれたのかを、もっと詳しく見ていこうと思います。顕清の系図をご覧ください。藤原顕清の系図(日野家) *緑字で表記してある頼資と... 2020.12.29 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 6 承安4年の春-慈円ー 承安4年(1174)の春に時間を戻しましょう。式子内親王が26歳、慈円が20歳です。 この当時の信頼のおける史料の一つに、藤原経房(つねふさ)の日記である「吉記(きっき)」があります。経房は、式子内親王の叔父で後見人だ... 2020.12.04 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 5 三人の僧 日本仏教の貴重な文献が集められた「大日本佛教全書」(明治45年~大正11年に創刊)という書物があります。この書物の64巻138に僧綱補任残闕(そうごうぶにん ざんけつ)が収録されています。僧綱補任とは、推古32年(624)から康治... 2020.11.10 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 4 逢ふ日 式子内親王が斎院を降りてから何年か後のことです。賀茂祭(4月の吉日、第二の酉の日)に先立って行なわれる御阿礼神事(みあれのしんじ、古来からの神迎え)の日に、ある人が式子内親王に二葉葵(フタバアオイ)を献上しました。そのことが千載集に... 2020.09.26 式子内親王と慈円の恋
式子内親王と慈円の恋 式子内親王と慈円の恋 3 志賀の波路に袖ぞ濡れにし 唐崎の祓えは、28代斎院の統子内親王(式子内親王の叔母)の例を見ると、退下の2年後に行なわれています。式子内親王も斎院を退下した嘉応(かおう)元年(1169)7月26日からおよそ2年後ぐらいまでには、唐崎の祓えを行... 2020.08.24 式子内親王と慈円の恋